ことばのはこ

ときめきの時計が錆びるまで*いろんなものが好きなヲタクです。

親知らず抜かない

「女性の方は妊娠中に親知らずが痛むことがあるからね。抜くなら早めに抜いておいた方がいいんよ。でも、ちょっと生えてる場所的に神経がね……。しかも、今すぐに悪さをするっていう生え方じゃないから抜かなくてもよくてね。もし抜きたいなら、大きめの病院への紹介状書くけど、どうする?」

病院を受診すると、医師や看護師と患者の間でしか見られない距離感や言葉選びで話をされるのは、一体何歳までなんだろう。成人女性と話すには亡状な口調で発される、子供に伝えるにはやや晦渋な言葉について、そんなことを思っておきながら、一丁前に言葉を詰まらせた。

なんの予定もない土曜日の午前を埋めるために、金曜夜に歯医者のWeb予約をとるのはよくあることで。その日は、いつも行っている歯科医院のカレンダーが×で埋まっていたので、近所の小さな歯科医院を選んだ。いつもと同じように処置用の椅子に座らされ、いつもと同じようにデンタルミラーを口につっこまれたかと思えば、10分後にはレントゲン室でピアスを外すよう指示を受けていた。初めて来る歯科医院といえど、病院による差なんて大してないはずなのに、「いつも」にない流れに入ったから、嫌な予感はしていたけれど。40半ばぐらいに見受けられる院長が現れ、私のレントゲン写真を見ながら冒頭の台詞を放ったところで、その予感は6割ぐらい的中していたことを知ることになるのだった。

フェイスシールドとマスクの合間から覗く、大きな双眸に気圧されるようにして「次の受診日までに考えます」と返答をすると、院長は、特に説明を重ねることなく、うん、ゆっくりでいいからね、と軽快に相槌を打った。

例に漏れず、診察料の支払いと次回の予約について、「大人」に伝えるには平易すぎる言葉で説明した歯科衛生士に見送られて診察室を出た後で、医療行為を受けることについて、選択肢がある状態ってなんなんだろう?と独り言ちた。ただでさえ、自分で決定的な判断を下すことが得意じゃなくて、常に「決めること」から逃げているというのに。医学という、絶対的な正解がありそうにみえる領域においても、最終的には個人の意志や判断が必要で、そして、それを医者が主導してはくれないことに、私は悶々とした。でも、そういうものだと本当は理解していて、駄々をこねたり、誰かに決定権を委ねたりはしないので、私は、気づかないうちに「大人」になったのだと思う。

その日の午後には、私は親知らずを抜かないことに決めていた。仕事の都合とか、費用の捻出とか、色々な理由はあったけれど、1番はやっぱり、自分自身が子供を持つことをうまく想像できなかったからだった。「普通」なんてないのかもしれないけれど、私の想定する「普通」から逸脱した場所で育った私にとって、子供をもつということは、いまだに、御伽噺のハッピーエンドみたいな、自分の身近にはないものだった

23時の居酒屋で、萎びたポテトをつつきながら、子供を持ちたいかどうか、という議論をするたびに、「子は鎹」という言葉が頭に浮かぶ。あまりにも悲観的な前提のもとにあるその言葉を柚子サワーで喉奥に流し込んだ後、それに代わる言葉をてきとうに手繰り寄せる。てきとうな私の言葉に、もっとてきとうな同意とか、反駁というには弱い意思表示とかが返ってきて、明日には全部意味がなくなるものだ、と思った。23時の居酒屋で交わされる会話のすべてがそういうものなので、それでいいんだけれど。

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前置きがとっても長くなりました。物語文が好きなので無駄に描写が多い。

さて、本日は大晦日で、このキーボードをたたいている数時間後には2025年が終わりますので、かるーく振り返りを。

きれいごとみたいなことを言ってしまうけれど、振り返ってみれば、今年も、友達や恋人や職場の上司、先輩、同僚に支えられて、なんとかやれただけの1年だったような気がしますね。そして、たいして変容や成長がある1年ではなかったような気もする。そんなことを思ってしまうこと自体が、平穏無事で幸せな1年であったということの証左だと思うのですが。すべてがうまくいっているのに、一生なくならないこの欠乏感は一体何で埋まるんだろうね?結婚とか子育てとか言われたら、結構絶望しちゃうかもな。でもそれもきっとひとつの答えなんだろうなって、なんとなくわかっていて、だからこそ余計しんどい。ぎゃあ。

飽き性わたしが、唯一頑張っていること?というか、一貫して続けていることが資産形成なので、一応資産の話をしておくと、総資産は前年度比1.8倍になりました。目標は達成。本業の負担を考えると、もうちょっと副業に負荷かけて、前年度比2倍を目指せないこともなかったかなと思うのですが、マイペースに続けられるくらいがちょうどよいので良しとします。

「人は裏切るけど、お金は裏切らない」という他人からの教えがずっと頭の片隅にあり、実際、人間が人間を裏切る瞬間を目撃しているので、危機感を原動力に資産形成をやれているわけですが、わたしが女である以上、この資産額や収入が社会的ステータスになり得ないことを思うと、ちょっと損してる気がしてきた今日この頃。それを男友達に言ったら「まあ確かに女の子が稼いでることに価値はないかもね」とかるーい肯定がかえってきてしまったし。それについて、これ以上の重さで何かを嘆くことはないけど、20代女の身の振り方をまた考えさせられる。

2026年のやりたいこととか目標は、友達と一緒に書き出す会をやるので今はいったん保留にしますが、引き続きの目標?大前提?としては、「自分の好きな自分でいられるようにする」ということを最終地点にしてやっていきたいと思うよ~

2026年もいい年にしましょー!